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ギリシア・ローマ世界における他者 第4章

september 07, 2004 | About Book

『バッカイ』における他者

 この公開講座を通じて取り上げられている『他者』という存在を神を媒介にして自己の中に内在するものであることを実証していく論考。
 とはいえ筆者はそこまで明確に論旨を展開せずに結果として『バッカイ』におけるペンテウスの崩壊をそのような『内なる他者』の顕在化として結論付ける形をとっている。
と、そこまでは無理もなく問題もないのだが、、、そのあとにディオニソスという神の存在に視点が移動し、ディオニソスという神の存在について論じ始める。
このあたりはギリシア文学や哲学を生業としている人々の間でも解釈が分かれるところらしく、『ディオニソス』という神の存在について、そして紙なる存在について熱く語り始める。
『他者』はどこへ行ったのか?と思わず突っ込みたくなる。

『バッカイ』という悲劇は目に見えるものしか理解できぬ若者が引き起こす悲劇であり、その悲劇は『神の怒り』が発端となる。その神がディオニソスであり、彼の存在を『邪なる者』と決め付けた若者・ペンテウスへの怒りが彼とその母の運命を狂わせていく。
ここで『他者』と向き合うのはディオニソスではなくペンテウスであり、ディオニソスの怒りを買ったがために『内なる他者』を呼び起こされてしまう。注目すべきは『他者』を呼び起こすのはペンテウス自身ではなく、ディオニソスがペンテウスの中にある他者を呼び覚まし、それと自覚せぬままにペンテウスはその他者の顕在化を受けて人が変わったようになってしまう、という点だと思う。
つまり、『内なる他者』を引き出すのは己自身ではなく、他人という『外的な他者』であり、呼び起こされた『内なる他者』に飲み込まれるのは己自身である。

 神であるディオニソスはあくまで他者を呼び起こす媒体として存在し、さらに『ペンテウスの悲劇』のすべてを見納める傍観者である。
ここにきて『他者』には文化や生き方を異とする『バルバロイ』のような『外的なる他者』とバッカイのペンテウスのようなギリシア人自身のうちにある『内的なる他者』の二つが存在し、常に『自己』と対立していることがわかる。
他者とは常に自己を映す鏡であり続けることは現代においてもなんら変わりがないことは言わずもがな、のことでもある。


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